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EAの歴史

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概要

エレクトロニック・アーツ、インコーポレイテッド(株式会社エレクトロニック・アーツ:ナスダックコードERTS、以下EA)は国際的なビデオゲームの開発会社、出版会社、販売会社。
アメリカの実業家、トリップ・ホーキンス(Trip Hawkins)氏によって1982年5月28日設立された。
同社はパソコンゲームのパイオニアであり、その販売戦略において、デザイナーとプログラマーも責任を持つことが特徴的であった。
設立当初はパソコンゲームの販売会社に過ぎなかったが、1980年後半になると自社開発を始め、1990年初頭にはマルチメディア端末によるゲームも手がける。EAはこの頃から優れた開発者が加わることによって、急成長を遂げて行く。
2000年初頭にはEAは世界でもっとも大きいゲーム会社となり、2008年5月、同社が発表した2008年度の収益は40億2000万ドルに上った。
現在EAが圧倒的シェアを持つ商品群は、EAスポーツレーベルによる、人気映画ハリー・ポッターを題材にしたゲームや、ニード・フォー・スピード(NFS)、メタル・オブ・オナー(MoH)、ザ・シムズ、バトルフィールド、コマンド&コンカーシリーズなどのロングラン商品である。また、EAは音楽ゲーム、ロックバンドの販売会社でもある。
EAは2009年3月期決算で10億8000万ドルの損失を計上したが、収益は42億ドルに上っており、前年(36億ドル)比15%増となった。

歴史

1982-1991

■ 会社設立と販売戦略
1982年、トリップ・ホーキンス氏(以下ホーキンス)は[1]セコイア・キャピタルの[2]ドン・バレンタイン(Don Valentine)氏に新規事業への出資を打診した。バレンタイン氏はホーキンスに、マーケティング・ディレクターとして遇されていたアップル社を退社するようすすめ、新会社設立のためにセコイア・キャピタルの事務所の空きスペースを貸し与えた。
1982年5月28日、ホーキンスは私財20万ドルを投じ、会社を設立した。そして7か月後の1982年12月、ホーキンスはセコイア・キャピタル、クライナー・パーキンス・コーフィールド&バイヤーズ(KPCB)、セビン・ローゼン・ファンドから200万ドルの出資を取りつけた。
この7か月間、ホーキンスは事業計画書に推敲を重ねた。1982年8月、ホーキンスは、会社の最初の従業員となるアップルの元同僚リッチ・メルモン(Rich Melmon)の助言を受けながら、最初の事業計画書をセコイアの事務所のアップル・コンピューターに打ち込んだ。この期間にホーキンスはアップルの元部下であるデイヴ・エヴァンス(Dave Evans)とパット・マリオット(Pat Marriott)をプロデューサーとして引き抜く。事業計画書は9月にさらに書き換えられ、10月8日に再提出された。9月と11月の間に社員の数は11を数えた。ティム・モット(Tim Mott)、ビン・ゴードン(Bing Gordon)、デビッド・メイナード(David Maynard)、スティーブ・ヘイズ(Steve Hayes)らである。
セコイアの事務所が手狭になったため、会社はサン・フランシスコ空港の滑走路を見渡すカリフォルニア州のサン・マテオに移転する。1983年、社員数は急速に増え続け、この時期にドン・ダグロー(Don Daglow)、リチャード・ヒルマン(Richard Hilleman)、スチュワート・ボン(Stewart Bonn)、デビッド・ガードナー(David Gardner)、ナンシー・フォン(Nancy Fong)らが加わる。
ホーキンスには小売業者に直接販売するという強い信念があったが、これは新しいゲームブランドの立ち上げと相成り、販売をより一層困難にするはずのものであった。しかし、会社の初年度の収益は500万ドル、翌年には1100万ドルを記録した。
1984年にラリー・プロスト(Larry Probst)が副社長として加わり、3年目に会社は1800万ドルの収益を上げた。ナンシー・スミス(Nancy Smith)、デビッド・クライン(David Klein)、デビッド・ガードナーらセールスチームと組み、プロストはアメリカのゲーム業界において、もっとも強力な販売網を構築することに成功したと言われる。
この直接販売方式は、中間業者をはさまず、会社により多くの利益をもたらし、また、市場のニーズをつかみやすくさせた。しかし、もっとも大きな利点は会社が黎明期に直面するはずの競争を、一気に飛び越えることを可能にしたことだろう。

■ エレクトロニック・アーツ社名の由来
エレクトロニック・アーツ(以下EA)の社名は1982年の[3]オフサイトミーティングで生まれたと言われている。初期の社員のほとんどが、ホーキンスが考案した「アメイジン・ソフトウェア」の名称に不満を持っていたと言われている。アップル在籍時、ホーキンスはカリフォルニア、パジャロのコンドミニアムでオフサイトミーティングを開くことを好んでしており、1982年10月、EAでも同様の試みを実施した。オフサイトでの長い1日が終わったあと、12人の社員とアドバイザーらは、満場一致で夜を徹して新社名について話し合うことで合意した。
ホーキンスはソフトウェアをアーツ(芸術)として捉え、開発者らをソフトウェア・アーティストと呼んだ。それゆえ当初の事業計画書には「ソフト・アーツ」という名称が提案されている。しかし、ホーキンスとメルモンは表計算ソフト「VisiCalc」を開発した「ソフトウェア・アーツ」社の創始者と面識があり、彼らの承諾が必要と考えていた。事実、ソフトウェア・アーツ社の創始者の一人であるダン・ブリックリン(Dan Bricklin)はあまりに類似した名前の使用に反対していた。そのことを除けば、同夜の出席者は皆、この名称のコンセプトに賛同していた。
ホーキンスはまた、そのころ映画スタジオ「ユナイテッド・アーティスト」について書かれたベストセラーを読んでおり、この会社のプレゼンスを好ましく思っていた。アドバイザーのアンディ・ベルリン(Andy Berlin)らもこの映画スタジオのアプローチの支持者であり、その後の議論はホーキンスとベルリンにゆだねられた。そのときホーキンスは、社名に関しては皆に投票権があるが、寝てしまった時点でその権利は失われると言ったと伝えられている。
ホーキンスは「エレクトロニック」という言葉を気に入り、他の社員らも「ユナイテッド・アーティスト」に因んで「エレクトロニック・アーティスト」、もしくは「エレクトロニック・アーツ」という2つの社名について検討していた。ゴードンや他の出席者が「エレクトロニック・アーティスト」を推していたとき、スティーブ・ヘイズは、会社ではなく、会社が販売しようとしているゲームの開発者こそがアーティストである、という意味で「我々はアーティストではない。」と発言した。
ヘイズのこの議論により、「エレクトロニック・アーツ」がすぐさま票を集め、満場一致で社名は決定した。
1986年12月、デビッド・ガードナーとマーク・ルイス(Mark Lewis)がヨーロッパ支社開設のためイギリスへ向かうが、社名についてこんなエピソードがある。(この頃までヨーロッパにおけるEAのゲーム販売と、これらのゲームのヨーロッパ向け規格への改造は、アリオラソフト社が手がけていた。)
イギリスではウェールズ州の小さな会社が既に「エレクトロニック・アーツ」として商標登録されていたため、1997年までEAは同地でEOAとして登録される。これは□○△を組み合わせたような、同社のロゴに由来するものであった。1997年、この会社が廃業したため、EAは同地で社名を取得することができたと言われている。

■ 開発者クレジット
ピンボール・コンストラクションセット(Pinball Construction Set)はEAにとって最大級のヒットとなった。アップルIIコンピューターのために開発されたビル・バッジ(Bill Budge)によるオリジナル版は、またたく間に他のプラットフォームに導入された。
ビル・バッジのようにアーティストさながら開発者の名前をクレジットするという新しい試みは、初期のEAの特徴であった。EAはほとんどのゲームを「カバー・アルバム」のようにパッケージ販売することで、さらに同社の特徴を印象づけた。ホーキンスはゲームをアルバムスタイルで発売することにより、コスト削減とアーティストらしさの両方を実現できると考えていた。EAは普段から開発者をアーティストと呼び、彼らの写真をゲームにクレジットすると同時に、雑誌に膨大な数の1ページ広告を掲載した。EAは潤沢な利益を開発者に還元し、これが同社をさらに強く印象づけ、優れた開発者をひきつけることができたと言われている。

■ トリップ・ホーキンスの去就
1990年に入るとホームコンピューターの活況を受けて、EAはマルチメディア端末用ゲームを製品化するようになる。同時にトリップ・ホーキンスは「3DO」社(後に倒産)立ち上げのため、EAを去った。

1991-2007

■ EAの迷走
EAは現在カリフォルニア州のレッドウッドショアにその本社がある。ホーキンスが去った後は、ラリー・プロストが引き継ぎ、会社を現在の規模に導いた。
2000年から2003年の間、テイクツー・インタラクティブ(Take-Two Interactive)社の[4]M-rate指定バイオレンスゲーム、グランド・セフト・オートがブームとなったが、プロストはこの路線を踏襲することを嫌がったと言われている。彼のポリシーは結果的にウォール街のアナリスト達を非常に警戒させ、EAの株価が実際より低いのはそのポリシーのせいだという定説を生み出したと言われている。
2005年3月末、EAは今までにないハードウェア不足を露呈する、当初の売上予想を大幅に下回る四半期決算を発表した。
しかしこれはM-rateゲームがEAにとって新規分野であったということではない。1999年にEAは最初のM-rateゲーム、PC版システム・ショックII(System Shock II)を発売しており、プロストは後年、彼のM-rateゲームに対するスタンスを変化させ、現在EAはM-rateやアダルト・ゲームにいくつかのタイトルを持っている。
決算までを振り返ると、2004年にEAは南カリフォルニア大学のインタラクティブ・メディア学部へ数百万ドルに上る寄付を行っている。この寄付に加え、EAの従業員らが活発に同校を訪れて講義を行うなどしている。
同年の休暇シーズンにはセガの「ESPN NFL 2K5」でEAが絶対優位とされていた[5]マッデンNFLの市場シェアを奪われる。EAはこれに対抗し、NFLとの独占契約を含む、いくつかの大掛かりなスポーツ・ライセンス契約を締結している。
さらに2005年1月、ウォルト・ディズニー・カンパニー傘下のスポーツ専門チャンネルEPSNとの[6]15年間にもおよぶ長期契約を締結している。これはEAにESPNの所有するスポーツ・シュミレーションゲームについて独占権を与え、さらに今後ESPNの映像プロパティについても独占させるというものである。同年4月11日にはEAは、[7]CLC(The Collegiate Licensing Company)と大学フットボールに関する6年間の独占契約を締結する。
2006年4月、EAのソフトウェアエンジニアらが、残業代の支払いを求めて起した集団訴訟が、EA側が原告側に1490万ドルを支払うことで決着する。詳しくはこちら

■ EAの成功と既存路線の限界
EAの成功、すなわちその売り上げと時価総額のほとんどは、プラットフォームを選ばない開発と、毎年のようにリリースされるマッデン、FIFA、NBA、タイガーウッズなどのスポーツタイトルの最新版によって、既存のプレーヤーと強靭な、複数年にわたる関係を築きあげたことにあると言われている。EAはこのような試みを実施した最初のゲーム販売会社であった。
2006年、EAは最新版リリースによる戦略が飽和状態にあると見て、新しい独自の知的財産の創造に資源を集中させると発表した。同年1月、EAは海外支社を含めて従業員を5%リストラすると発表している。6月にはウォーハンマーオンライン(Warhammer Online)を製作したスタジオ、ミシック・エンターテインメント(Mythic Entertainment)を買収した。

2007

■ プロストの退陣と新CEOリッチティエロの改革
2007年プロストはCEOを退き、理事として残留する。プロストが自ら指名した後継者はEAに数年在籍した後退職した、出戻りのジョン・リッチティエロ(John Riccitiello)氏であった。リッチティエロは投資会社エレベイション・パートナーズ(Elevation Partners)、食品、ビバレッジ、ボディケアのサラ・リー(Sarah Lee)、ペプシコに在籍していたことがある。
リッチティエロはEAを4つのレーベルに分ける組織改変を行った。この組織改変が「都市国家型」と呼ばれるものである。それぞれのレーベルで開発から出版までを自主性的に運営させ、意思決定の流れを合理化し、創造性と品質を高め、市場への製品投入を迅速化するためであった。この組織改変は、品質低下を招いたと言われる、EAの数年間にわたる小規模スタジオの買いあさりの流れを是正するものであった。
2008年の[8]ダイスサミットで、リッチティエロは小さなスタジオから才能の芽を摘み取ってしまう、今までの「買収し、適応させる」アプローチは誤りであったと述べた。リッチティエロは「都市国家型」モデルが幅広く開発者の自主性を尊重するものだとし、買収したマクシス(マクシス)社とバイオウェア(BioWare)社を新体制下の好例として挙げた。

■ マック向けタイトルの展開
2007年、EAはマッキントッシュ向けにいくつかの主要ゲームを展開すると発表した。バトルフィールド2142、コマンド&コンカー:ティベリウム・ウォー、ハリー・ポッター:不死鳥の騎士団、マッデンNFL08、NFS:カーボン&スポアなどである。
新しいゲームはゲーム開発者向けソフトウェア移植エンジンCiderを採用して開発されたが、トランスゲーミング(TransGaming)社によって開発されたこのテクノロジーはCPUにインテル採用のマックOSの互換レイヤーにおいて、ウィンドウズ向けのゲームを動作させることを可能にしたが、パワーPC採用のマックではプレイできなかった。
2007年10月、EAは長い歴史を持つ開発スタジオ向けゲームサーバーホストを提供する、スーパーコンピューターインターナショナル(SCI)社を買収。SCIは目下ソフトウェア、プレイリンクを開発中であった。数週間後、EAはカナダのコンピューターゲーム開発会社、バイオウェア(BioWare)社と、スターウォーズバトルフロントなどを開発したパンデミック・スタジオ(Pandemic Studio)の親会社、VGホールディング社を買収した。

2008年から現在

■ 大規模レイオフとスタジオ再編
2008年2月、EAが同業のテイクツー・インタラクティブ(Take-Two Interactive)社に対して株式の買い付けを行っていることが明らかになった。当初1株あたり25ドルを提示したが、テイクツー側に拒否されたため、EA側はこれを26ドル(前日の終値に64%のプレミアをつけた)に修正し、これを公表した。インターネット上ではかねてよりテイクツーが大手に買収されるとの憶測があり、メディアコングロマリット企業のViacomが噂されていた。
5月、EAは韓国のモバイル・ゲームの開発販売会社、ハンズ・オン・モバイルを買収、EAモバイル韓国とすることを発表。
9月、EAは突如テイクツーの買収を取りやめた。理由については明らかにされなかった。
10月末、EAは従業員のおよそ6%、600人のレイオフ計画を発表。
11月6日付けで、EAは[9]カジュアルゲーム部門を廃止し、同部門を大手玩具メーカーハズブロ(Hasbro)との提携レーベル、ザ・シムズ レーベルに統合する方針を明らかにした。EAのカジュアルゲーム部門を2007年5月以来統率して来た、キャシー・ブラベック(Kathy Vrabeck)はEAを去った。
EAはこの統合について、カジュアルゲームは1分野に限定されるべきではないという結論に至ったからであると述べている。キャシー・ブラベックが去ると同時にEAはカジュアルゲームの開発およびマーケティング機能を他部門に吸収させた。何週間か後にはEAモバイルやオンラインゲーム・サイトのPogo.comなど、他の事業形態を含めた新体制を発表するとし、このビジネスはEAにチャンスをもたらすもので、達成に向けて全社的な強力なサポートが必要であると訴えた。
2008年の経済危機において、EAは予想を下回るホリデーシーズンを迎えた。リッチティエロは記者らの質問に対し、この第4四半期のパフォーマンスは、世界的な経済不況だけに起因するものではなく、EAがこの四半期に何のヒット作も生み出すことができなかった事実を認めた。
12月末の四半期決算で、EAは6億4100万ドルの損失を計上している。
2009年2月には従業員のおよそ11%にあたる、1100人のリストラを実施した。さらに把握できているだけで12施設が閉鎖された。
5月、EAのもっとも歴史のあるレッドウッドショアスタジオは、ヴィセラル・ゲームズ(Visceral Games)と名を改めた。ゼネラル・マネージャーであるグレン・スコフィールド(Glen Schofield)はこの名称変更について、スタジオが最も得意とし、その情熱を傾けるべきデッド・スペース(DEAD SPACE)やダンテの地獄篇(Dante's Inferno)などのホラータイトルによって、ゲームのあるべき姿を追求し、自分たちが何者であるかを明らかにするため、と述べている。デッド・スペースはその残酷描写のため、日本と中国では未発売となっている。
6月24日、EAはバイオウェアとミシックの2つの開発スタジオをMMORPGスタジオとして統合すると発表した。バイオウェア出身のレイ・ミュジーカ(Ray Muzyka)とグレッグ・ゼチャック(Greg Zeschuk)が新組織を統率することから、実質ミシックがバイオウェアの傘下に入ったと言えるが、この統合による影響については現在のところ、まだはっきりとしたことはわかっていない。
11月9日、EAは[10]カジュアル・ソーシャルゲームの開発会社プレイフィッシュ(Playfish)を2億7500万ドルで買収したと発表した。同じ日に、EAは従業員のおよそ17%にあたる規模の、1500人のレイオフを発表する。それはEAティブロン(Tiburon)、ヴィセラル・ゲームズ、ミシック、EAブラックボックス(Black Box)など多くの開発スタジオを含む、大規模なものであった。今回のレイオフにより、パンデミック・スタジオは完全閉鎖となった。


[1]ドン・バレンタイン氏によって設立されたベンチャーキャピタル。セコイアはシスコ・システムズ、オラクル、アップル、ユーチューブ、グーグルにも出資している。
[2]アメリカのIT企業を中心に投資を行う、非常に影響力のある投資家の一人。「シリコンバレーベンチャーキャピタルの祖父」とも呼ばれる。
[3]柔軟な発想や斬新な意見を社員から引き出すため、事務所や拠点を離れて異なる環境で行う会議。
[4]"M"は"Mature"(大人)の意味で、表記のあるビデオゲームは17歳未満の青少年が購入できないことになっている。
[5]アメリカンフットボールゲームの総称で、フットボールアナリストのジョン・マッデン氏に由来。(訳者調べ)
[6]2005年時点でセがとの契約が残っていたため、契約は2006年開始、2020年終了。ただし、条件が合えば2015年に解消できることになっている。(訳者調べ)
[7]大学の商標ライセンス管理やマーケティングを行う機関。
[8]ゲーム界のアカデミー賞とも言えるInteractive Achievement Awardに付随して行われており、業界のトレンドや向かうべき方向について、最前線で活躍するリーダーたちから話を聞こうという主旨で行われている。
[9]カジュアルゲームは、コンピュータゲーム、特にオンラインゲームの中で、簡単な操作で短い時間に楽しめるゲームの総称。
[10]フェースブックなどSNSのプラットフォームでプレイするゲーム。

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