MMORPG ウルティマ・オンライン - Ultima Online の知られざる歴史、海外EMシャードイベント情報

The Conquest of Origin_3

The Conquest of Origin-タイトル文字

デニス・ルーベット、アーチスト:「買収以前、オリジン社を存続させようという熱意も、まずポリシーありきだった。しかし買収以降、サバイバルはさながらえさ箱の奪い合いと化した。プロダクション・グループの数が減るにつれて、オリジンは破綻した。それは、すべての「オリジンの文化」の死だった。それぞれのプロダクションのトップは各チームの独裁者だったが、予算のためEAに取り入る術は持たなかった。」

スティーブ・パワーズ、アーチスト兼プログラマー:「EAがオリジン社を支配しはじめると、オリジン社の文化からあらゆる喜びが消えて行こうとしていた。僕らは反逆者のために働いていたのに、皇帝に仕えるようになったものだ。僕たちはオリジンですさまじいまでに長時間働いていたけれど、会社は明けても暮れても仕事を奇跡的な喜びに変える文化を持っていた。オリジンはすずめの涙ほどの給料しか出さなかった。だからこそ文化は魅力的じゃなけりゃいけなかったんだ。僕はオリジンで貧困よりもちょっとましなレベルの給料から始めた。EAは給料をその地域で競争力のあるレベルまで高め、趣味の域程度の人々が、突然キャリアを与えられた。それはもはやなまっちゃろい兄弟愛なんかじゃなくなった。それはビジネスになった。」

ギャリオット:「EAにも何人かの善意の、あるいはすばらしく尊敬できる人々はいた。ラリー・プロストCEOは僕がやろうとしていることに協力的ではなかったが、僕は彼が常にはっきりしており、合理的で、非協力的であるということに徹していたことについて尊敬している。チーフ・エグゼクティブ・オフィサーのビン・ゴードンは時々わかってくれていると感じたし、僕がベストを尽くせるようにしてくれているといつも感じていた。北米支社の副社長のナンシー・スミスはオリジン社に共感してくれたし、成功を望んでくれた。けれどそこには「他人の成功は自分の失脚、他人が注目されれば自分が顧みられなくなる。」と言わんばかりの人々も多く存在した。彼らは次第に僕たちを敵視するようになり、邪魔するようになった。」

EAがオリジン社を買収してから、組織はドン・マトリックをEAワールド・ワイド・スタジオの社長として迎えた。バンクーバー郊外のバーナビー出身のカナダ人であるマトリックは、1982年、ジェフ・センバーとともに、アップルIIコンピューター用「エボリューション」を彼が17歳のときに開発している。それゆえ彼はEAの単なるもち札ではなく、多くのオリジン社プログラマーらに対して絶大な発言力を持っていた。EAは1991年にマトリックに1300万ドルを支払い、マトリックの会社である、ディスティンクティブ・ソフトウェアを買収した。ディスティンクティブ社は「テスト・ドライブ」や「ハード・ボール」シリーズなどの知的エンタテインメントやスポーツゲームのメーカーである。ディスティンクティブ社はEAカナダとなり、マトリックはCEOであるローレンス・プロストIII世の後ろ盾によって、世界的にその存在を知られるようになる。以降、マトリックはEAカナダを副社長として、1997年まで、権力から権力へと見事に統率して行くことになる。
EAがオリジン社をより強く掌握し始めると、マトリックはオリジン社のチームに対し、スケジュールを守るよう詰め寄った。(ギャリオットによれば、このスケジュールの強要がウルティマVIIIに対して悪影響を及ぼした。)マトリックは多くのプロジェクトをコントロール不能だとして、あるいはスタッフが何を考えているかわからないという理由でつぶした。スタッフのなかにはマトリックはオリジン社がディスティンクティブ社(EAカナダ)のリソースを奪うという理由で陥れようとしているのだと信じる者もいた。この見方は90年代後半、オリジン社のオンライン・ゲームに対する動きをマトリックが支配しようとしたことから、とりわけ強まった。
この動きは本来マトリックのアイディアではなかった。もともとオリジン社は初のオンライン・ゲームとなる、ウルティマ・オンラインに付ける予算がなかった。ギャリオットはプロストに15万ドルの元手を直接取り付けに行った。この時のプロストの承諾なしにはUOの開発は後回しにされ、その開発をスタートさせることすらできなかったかも知れない。ギャリオットは2004年、ゲームサイト、ゲームスパイのインタビューに答えて語っている。「もともとウルティマ・オンラインは開発中は赤毛の継子扱いだった。EAの誰もがより確実なウルティマIXを注視していたし、誰もウルティマ・オンラインが何かですら、実際には理解していなかった。」しかし、UOのベータテストが5万人のボランティアを動員すると、EAは態度を豹変させた。彼らはギャリオットをウルティマIXからはずし、UOの開発に専念させた。
1997年のUOの予想外の成功(加入者はピーク時には25万人に上った)はMMORPG産業の幕開けであり、EAの関心をオンライン・ゲームに引き付けた。オリジン社はUO以降の商品化案件について、いくつかの提案をしていた。漫画、フラッシュ・ゴードン風の宇宙空間ゲーム、電子コレクションカードを使った格闘技ゲーム、オンライン・サッカーゲームなどである。そのいずれも、続編でも、スピンオフでも、ライセンスものでもなかった。

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